刻の観測者

2021/0509 著

職業「天使」。

身分証に無機質に印字されたその文字を私は何かする度に眺めてはにやける頬を無理やり引き締めデスク上のパソコンに視線を向ける。

メールの受信箱には卒業に向けての送迎会や打ち上げ、卒業旅行の計画と学生生活終了のカウントダウンを惜しむような件名が並んでいた。

季節は2月末期。

バレンタインデーも終わり可愛らしく飾られていたチョコレート売り場は青や白を基調としたホワイトデー仕様の飾りつけに移り変わり、それと同時に新入学や新しい年度に向けて桜の飾り付けもよく見かけるようになった。

かく言う私も大学4年で3月に卒業だ。

成績も中の上、資格もそこそこに単位もきちんと取った。

そして就職先は天使。

「天使」 それは聖書なんかに出てくる神の使いとよく知られているだろう。

そんなファンタジーな職業、絶対怪しい宗教に違いない。

きっとそう思う人が大半だと思う。

昔なら、だ。

ちょっと前から流行った「異世界転生」。

いろんな人がこぞってこんな世界があれば、こんな主人公の物語を見れたら。

多くの人々がそんな妄想を少しでも現実に近づけたくて、作品にならない脳内妄想も含めて多くの世界が一気に交差した。

最初はなんか流行っているな、と思っていたのにいつの間にかそれが”本当”になるようになってきたのだ。

例えばふとした時に道端のタンポポを見てみれば綿毛に乗って楽しそうに空を舞う精霊の姿をこの目で見ることができた。

電車に乗っていると傍を魔法使いがスイスイと空を飛んでいた。

はたまたコンビニに入ればいかがわしげな謎のアミュレットや顧問書がその棚を埋め始めた。

コーヒーを買おうと陳列棚に手を伸ばせばエナドリの隣に「ポーション」と手書きの値札が添えられた赤い瓶が並んでいた。

道を歩けば人間じゃない生き物と道ですれ違うことが多くなった。

空を見上げればドラゴンや飛空艇、色鮮やかな鳥が羽ばたいていた。

人々の創造したものが現実の世界に飲み込まれていったのだ。

科学的実証がされていないような出来事が現実で起こり世界は歴史上ない程の混乱を極めた。

最初はニュースで取り立てられていたものの、いつしか常識は移り変わり、今では国の諍いなんてよもや見かける事はなく人間以外の知識を有し意思疎通を図れる人間以外との諍いが目立つようになってきた。

勿論、生活にも変化が生じ私が高校生の頃にはこの「天使」という職業も既に確立されていた。

ただ「天使」といっても前に書いたようなファンタジーなものではない。

これはそのまま書いた天の使い、と言う意味だ。

創造が現実になった世界には偶像そのものも現実となった。

その為人々の信じる神様や仏様も当然有るものとなったのだが如何せんそれは「欲望」に塗れた存在でとても人々を救うような存在ではなかった。

特に一神教への影響は大きく自分の信じる神はこうだと声を荒げる信者が後を立たず、ついにはその宗教は滅んでいってしまった。

逆に八百万の神を信仰するここ日本ではそれぞれが一方向に長けた神と崇めていた為そういった影響は少なかった。

何よりおみくじや占いといった当たり外れや完璧な性格ではない人間じみたその神様像は畏怖ではなく寧ろ好転しまるで仕事の上司のような尊敬の関係を築けていた。

日本でいう神様なら神社を思い浮かべるだろう。

そして神社といえば神主さんや巫女さんだ。

天使とは違うんじゃないか?と思うかもしれない。

そう、この職業「天使」はそれぞれの神様につくわけではない。

今世界で起こっているこの「異世界との融合」を研究するための天の使いなのだ。

不思議な魔法や科学では実証できない出来事、はたまた意思疎通できる獣や妖精他などなど。

これは向こう側も同じことでなぜこういった事象が起こってしまったのかはまだ解明されていない。

そこでそれぞれの世界のあり方を調べ、比較し、どう変化していったのかを人間らしく調査するのがこの「天使」と言う職業なわけだ。

あえて人間らしく、といったのは他の意思を持った種族達にも似たような事をしているグループや組織はあるからだ。

とはいえ人間はあくまでも人間。

決して不思議な力をその生身で使うことはできない。

異世界産の道具や他種族の力を借りなければ異世界に渡ることすらできない。

なので一応、人間以外の種族も所属しているらしい。

私は根っからの人間そのもので大学も普通大学にカフェのバイトをしながら一般的な1DKの一人暮らし。

バイト先のお客さんだったりすれ違ったりする以外には他の種族との接点なんてほとんどない。

そう、仕事場で初めて他の種族の方と言葉を交わすのだ。

それだけで胸の鼓動がバクバクと高鳴り卒業旅行なんて吹っ飛んでしまう。

私は早々にメールの返事を送れば入社説明会の時にもらった書類をファイルから取り出す。

「天使 日本支部 第57期生」

頭にそう記された書類には天使と言う仕事についてや服装、持ち物や働き方が2ページに渡ってプリントされている。

そして最後の1ページには今回私と同じ第57期生で同期となる面々の名簿となっていた。

名前に年齢、そして種族…ーーーーー

エルフに精霊、悪魔に吸血鬼、ライオンにうさぎに蛇遣いなんてのもある。

人間を主体とした組織のため名簿には人間とは必ずペアとなる他の種族が存在する。

私、花山優香(はなやま ゆうか)のペアの種族は

”天使”だった…ーーーーー

白の生地に金の糸で装飾された羽根の刺繍。

赤い宝石に金のチェーンが下がる帽子は魔法使いのような三角のとんがり帽子。

昔の常識ではまず身につけられないであろうコスチューム。

駅にでも向かえば目立って仕方ないだろう。

しかし、この目を引くことがこのコスチュームには重要になってくる。

各世界を調査するにあたって守らなければならない事がある。

それは決して観察対象に干渉しないことだ。

「天使」は世界の変化を調査するのが目的だ。

誰もがこの世界の変化の原因を知りたがっている。

この事象がなぜ起こったのか、それによって何が違っているのか。

知らない事は恐ろしい。

それは人間に限ったところの話ではない。

他の種族達もこの出来事には少なからず何か知識を有したいと思っている。

その共通の目的によってそれぞれの世界の観察を許されているのだ。

同時に決してその世界を変えてはいけない。

なぜなら変化に気づくことができないからだ。

何が起こっても職業天使は手助けをすることも口出しをすることも許されていない。

巷では職業天使はその職名にそぐわずとても冷酷だと言われている。

いくら理不尽なことが目の前で起こっていても決しては助けてくれないし、誰かに知らせることもない。

ただ淡々とその事象を観察するのみ。

しかしそれは職業天使を守ることにも繋がる。

決して干渉しないから此方にも手出しをするな、という表明だ。

これが成立しなければすぐに損得勘定がなされ情報に利益が発生してしまう。

そうすれば不思議な力を持たない人間は一気に不利となるだろう。

干渉をしないことは職業天使にとってのお守りであり人間が生き抜くための知恵だった。

そしてそれをわかりやすくするためにこのコスチュームは存在する。

大きな茶色い鞄に必要書類と筆記用具、貴重品にハンカチとポケットティッシュを詰め込めばよし、と鞄の口を閉める。

真新しい磨かれた茶色い革靴を履けば玄関のドアに魔法陣の描かれた紙を当てる。

人差し指で縦に一筋入れれば「B57 白の間」と呟く。

すると玄関のドアは一線した部分からイリュージョンのように重苦しい木製に黒の金具の扉へと変わる。

私は初めてその魔法を実行し興奮気味に身体を震わせた。

魔法陣の描かれた紙を手帳に丁寧に仕舞えば一つ深呼吸してドアノブに手をかけた。

延々と天に登っていくようなエスカレーター。

上を見上げれば途方もなく続いている。

そっと振り向けばそこには美しい銀の髪が視線を釘付けにする。

二段下に佇む彼女は私のパートナーである天使。

長く解いた髪は風に靡きアメジストのような瞳は大人びた落ち着きがある。

「どうかされましたか」

視線に気づけば声をかけてくる彼女。

パートナー顔合わせから3時間ほど経ったが言葉を発したのは最初のヨロシクのみ。

きっと物静かで色々と語りたがらない性格なんだと自分を納得させていた。

が、気になるところは沢山ある。

「…何かお返事いただけると助かるのですが…」

表情は淡々としているが瞳の色は若干揺れている。

問いかけに答えないままぼーっと自分の思考の中へ行ってしまうところだった。

「ごめんなさい、その…色々と聞きたいことがありすぎて…」

慌てて頭を下げる私はエスカレーターに乗っていることも忘れて思いっきりバランスを崩し彼女に覆い被さるように倒れ込む。

このまま二人とも落ちてしまう、とギュッと目を瞑った瞬間それは美しく視界を覆った。

「!!!」

バサッと彼女の背後に広がる美しい白い翼。

真っ青な空の元では美しさに目を奪われてしまう。

「…感動中申し訳ないのですが、もう少し周囲の状況を鑑みた上で行動していただけると助かります」

困った顔で銀の杖をかざしていると思えばふと自身が空に浮いていることに言葉を失う。

こうなると解っていたのか回答を待つことなく元のエスカレーターにゆっくり戻される。

「……凄い、初めて魔法で浮きました」

まるで小学生のような感想を述べれば一気に恥ずかしくなり顔が火照る。

変わっているとはいえ職業天使も立派な社会人だ。

それなのにまだ学生気分を引きずる自分に気づく。

「気にする事はありません、それが成長というものです。誰しも失敗し学んでいくのです。」

恥ずかしさに俯いていたわたしを覗き込んでくる彼女。

普通なら怒られてもおかしくないようなことをしてしまったのにまさかフォローして貰えるとは。

「…天使、だから…?」

ふとそんな考えが思わず口から溢れ出す。

キョトンと驚いた表情になればふふっと笑みをこぼしくすくすと笑われる。

「天使なのはあなたも同じではありませんか」

「あ、確かにそうですね」

種族としての天使といったつもりだったが自分も一応天使の部類であることには変わらない。

なんとも紛らわしい職業だ。

「…ここは長い長い時間をかけて世界を渡ります。先ほどは軽い挨拶のみでしたし、自己紹介でもいたしましょうか」

いつの間にか背中の翼をしまいエスカレーターの段差に腰掛ける彼女。

私も習って隣に腰を下ろす。

眼下には晴天の元、静かに私の暮らす街が広がっていた。

「改めて、私はテンマスティと申します。種族は先程ご覧の通り、天使になりますね」

何から話し始めたら良いかと緊張に震えていた所を