2023/08/27 著
「わっ…ちょっと、まて!」
夏の終わりの茜色の空の下。
河川敷で一人の少年が闇色を捕まえた。
「…どういう事か説明して貰おうか…」
虫籠の紐でなぜかぐるぐる巻きにされた闇色の青年はなんとも言えない表情で虫取り網を自信満々に振り回す少年にそう問いかけた。
「なんか知らないけど、さっき虫取りをして遊んでいたら赤い髪のお姉さんが「闇色の髪の人を捕まえたらお小遣いあげる」って言われたんだよ!」
にこにこと笑顔で答えれば今度は赤とんぼを追いかけだした少年はあっという間に遠くに行ってしまう。
「…いやいや、どんなお姉さんだよ一体…つか、私は虫じゃないんだが…」
溜息をつきながらぐるぐる巻きにされた紐を解いていく。
これだけ簡単に外せる紐に少年は疑問をもたなかったのだろうか…
若干不安になる青年をよそに少年は赤とんぼを追いかけるのに夢中だ。
全くいたいけな少年に何を吹き込んでいるやら…
時刻は17時半頃。
夏休み真っ只中のこの時期はまだ世間は明るい。
河川敷では日暮れの中ランニングをする夫婦に犬の散歩をする老人、仕事帰りのサラリーマンが各々の時間を満喫している。
闇色の青年もそんな一般人に紛れ緑茶のペットボトルを片手に夕方の空気を感じながらベンチで寛いでいた。
丁度今日の責務を終え一息ついていたのだが、急に虫取り少年に捉えられたという訳だ。
悪意のない真っ直ぐな瞳でああも自信満々に言われてしまっては大人の対応をせざる終えない。
話を聞くにどうやらそれを頼んだという「赤い髪のお姉さん」が悪いのは明らかなので少年を責めるのは間違っていると言えるだろう。
闇色の青年の中には一人の人物が思い浮かんでいた。
赤い髪を持つその女性は魔女であり自身を死神へと変えた本人だ。
当然声を掛けるのも魔法なりなんなりでいくらでも出来るだろうになぜ少年にそう言った事をさせているのか全く解らない。
「それは面白いからに決まっているじゃない」
クスクスと笑いながら近づいてく女性。
「…相変わらず思考は筒抜けという訳かい」
げんなりとした表情でそちらを見やれば思い浮かんだその魔女はベンチの傍らに佇んでいた。
「久しぶりね、元気そうじゃない」
「元気も少年のお陰でどこかに吹き飛んで行ってしまったよ」
ようやく紐を解き終わればベンチの端に寄り隣を譲る闇色。
魔女はありがとう、と囁けばゆっくりと腰掛けた。
夕方の茜色よりさらに赤い髪の彼女はまさに「紅蓮の魔女」の名に相応しい。
魔女狩りの時代を生き抜いた彼女は現世に残る数少ない本物の魔女だ。
そんな魔女がこんな平凡な河川敷に居るなんてどうした事だろうか。
「それは私の台詞だわ。死神からいつの間にか魔王として君臨しているそうじゃないの」
しっかり現状を追われている事に若干の寒気を覚えつつ闇色は赤とんぼを追いかける少年に目を向ける。
「別にそもそも私は死神としての仕事はしていなかっただろう。どちらかと言えば人間に紛れてひっそりと生きていたつもりさ」
どうやらようやく一匹捕まえたのか嬉しそうに飛び跳ねこちらに駆けてくる少年。
闇色は紐を解いた虫籠の口を開ければ少年に差し出す。
紐で捕まえたことなどすっかり忘れているのか少年は無我夢中でその中に赤とんぼを入れ込んだ。
逃げないようにそっと口を閉じればまた川辺のほうに駆け出す。
まだまだ色々捕まえたいようだ。
「全く、どうしてそこまで人間が好きなのかしらね、貴方は」
そんな様子を横目で見ながら溜息をつく魔女。
「さてね、それを聞かれても簡単に応えられるものではないだろう?」
「貴方がそういう奴だというのは知っているけれど、なにも人間の言う姿に寄せる事はないと思うのだけれど」
「…死神より魔王の方が平和そうじゃないか」
「どっちもどっちでしょう」
軽く言われれ落ち込む闇色はむぅ、と少し拗ねた顔をする。
「別に人間界に居着くのは構わないけれど、少し意外と思ったのよ」
ゆったりとした動作で足を組めば真っ直ぐに闇色も見つめる魔女。
「…それはどういう意味だい?」
「今まで自分からリーダー的存在になる事を望んだことがなかったでしょう?」
少しずつ日が傾いてきたのか街灯の灯りが灯りだす。
まだまだ暑さを伴った空気を切り裂くように目の前をランニングする青年が通り過ぎていった。
「それが魔王なんて呼ばれるものに自らなるなんて意外だなと思ったのよ」
そう言うと炭酸の入ったペットボトルを開けグイっと飲む魔女。
いつも魔女のローブを纏っている彼女が今日は華やかなオレンジ色のノースリーブにジーパンという現代的なファッションを身に纏っている。
魔女も人間界に馴染めるものなのか、とその様子をまじまじと見つめる闇色。
「…私は元が人間よ。そもそも人間界出身だわ」
ぷはーっと気持ちよく息を吐けば心の声に答えてくる。
「確かに私はそういうものにはあまり興味はなかったのだけれどね。多くの友人が出来るうちにそう呼ばれたんだ」
対して闇色はいつも通り、白いワイシャツを腕までまくり紫色のネクタイを緩めている。
流石に公共の場だからか左顔面の火傷傷や右手の骨の露出は幻術でカモフラージュしている。
「死神と言われるより、何故だかしっくり来たんだよ」
そう答えれば楽しそうに笑う魔王。
そろそろ帰る時間になったらしく虫取りを諦めた少年は魔女の方に走り寄った。
にっこりと笑えば魔女は少年にお小遣いを与え帰路につく少年に緩く手を振る。
結局捕まえた赤とんぼも自然へと放し見送っていた。
優しい少年のようだ。
「最近の貴方は変わったわね」
そんな笑顔を見て魔女は緩く笑う。
どこか昔を懐かしむように川を眺めれば続ける。
「私は貴方が憎くて嫌いで仕方なかったけれど、その生きざまを見ていたらどうでも良くなってしまったのよ。それどころか、いつか楽しく生きてくれればいいと思うようになった」
空になったペットボトルを指先で遊びながらちらりと魔王の方を見る。
いつもしかめっ面だった彼が今ではやっと楽しそうに生きているのだ。
「…今はとても楽しいと感じるよ。君たちにはとても感謝している。…君たちが居なければ私は形成されていないだろうからね」
ほんのりと微笑めば少し恥ずかしそうに顔を背ける魔王。
「こんな私でも役に立つものなのね」
そんな様子が面白くてクスクスと笑う魔女は満足したように腰を上げる。
「そのままやりたいように生きてみなさい。別に私は消えたりする訳ではないのだから」
「…そうなのかい?」
「消えてたまるものですが。もし消えそうになったらまた呪いを掛けてあげるわ」
にっこりと黒い笑みを浮かべれば楽しそうに魔王の正面に回り込む魔女。
「それは遠慮したいから、たまには君たちと言の葉で遊ぶとするか」
観念したように手を挙げればへなりと笑う魔王。
昔、対立した存在二つはいつの間にか信頼できる存在へと昇華していた。
それは時間が作り上げたものなのか、はたまた本人達の意思によるものなのかはわからない。
すっかり暗くなった河川敷には一人ベンチに闇色の魔王が夜風を楽しんでいた。
