2020/12/21 著
[* 路地裏の占い師]
運命はきっかけを作る架け橋でしかない。
一様に「決められた運命だ」等と好き勝手言う人間が割りを占めているけれど、僕は“なんにもしていない”んだ。
だから
「定められた運命とか言うの、辞めてもらえない?」
………
繁華街のざわめきと立ち込めるような熱気。
賑わう喧騒は“生きる”を表したように嬉々として鮮やかな色を放っている。
そんな繁華街を横目に一筋。 寂れた立て看板に古めかしい「占い」の文字が踊る。
人は疎らで駆け足で急ぐサラリーマンの裏道となっているここでは、そんな看板もただの障害物と化している。
鞄が当たれば憎らしげに舌打ちをする程度で目にすることもない。
この「仕事に疲れた私」以外には。
「お兄さん、疲れているのかい?」
妖艶に微笑みながら声を掛けてきた「自称占い師」は信憑性も無さそうだが、今の私には何かにすがらなければ倒れてしまいそうでそっと前の椅子に腰かけた。
思えばほんの数日前までこの看板があることすら認知はしていなかった。
きっかけは昨日の夜。
上司に言われた他愛のない一言。
「32歳にもなって女の話もろくに出てこないなんて、そういう運命だったんじゃないか?」
日頃から仕事はさらりとこなし、社交的な上司は勿論自分の時間を作るのも上手かった。
幼い頃に憧れたロボットのプラモデルをようやく自分でも作る事ができた、だの高校で入っていたテニス部時代を思い返しては気づけばジムで筋力作り。
人当たりの良さから友達も多く多趣味な上司は本当に人生を“生きて”いた。
そこまで大きくないうちの会社は給料が多い訳でもなく、上司もそうお金をたくさん持っているわけではなかったが何事にも行動的だったのだ。
そんな上司にかけられたその一言。
いままで特に熱中する物事もなく、何となくついているテレビをみれば流行りものを確認する程度で自分から欲しいとはあまり思わなかったり。
かといって個性があるのかといわれれば、どこにでもいる成人男性で、普通の賃金にテンプレートな一人暮らしのアパートの一部屋。
夏になればクーラーにお世話になるし冬になれば炬燵も出すが借金なんてものもなく、納金を怠ったこともない。
自分で言うのもあれだが背は172cmで今の時代じゃそう驚かれない身長にノーマルな顔。
特徴があるとすれば眼鏡くらいか。
つまりは魅力もなければ悪くもない。
モブ的存在が女性にみてもらえるか、といわれればそういうわけでもないのだ。
そうしてはたと気づくのは「果たしてこれを“生きる”というのか」だった。
仕事で苦労していない訳じゃない。
だけどなんのために働くのかと言われれば決定的には「現状維持」。
良くもなく、悪くもなく。
もしも上司のいうようにそれが…
「運命だというのなら、どうして生を受けたのだろう?でしょ」
「!!!」
驚きを隠せない私を見透かしたように微笑む占い師はスッと目を細めて言葉を紡ぐ。
「ふふ、当たってたみたいね?あまり信じてくれてないみたいだったから少し占わせて貰ったの」
にっこり笑えば目の前の水晶玉を指差せばごめんね、と舌をだす。
「最近は劣等感を持つ輩も多いけれど、そこまで輝いた上司をみるのも希よね。だからこそ貴方がいまここにいるのだけれど」
「…やっぱり、最近はそういうのが多いものなんでしょうか」
先程心を読まれて真っ白になった頭をなんとか会話ができるところまで復旧させると占い師から目を伏せる。
きっと目を伏せたところで私のことはお見通しなのだろうけれど、このまま目を見ていては取り入れられてしまいそうだった。
私の仕事は営業で、相手の目を見て話すなんて造作もないことだった。
もちろん話すのも好きではないが得意でお客さんともうまくやっている。
だからこそわかるのだ。
興味のある話ほど“引き込まれてしまう”。
それは暗示と同じようなもので引き返せない魅力だ。
とりとめもなく溢れる自分の思い。
“この人に聞いて欲しい”…
「いつでも構わないわ。話を聞かせてくれないかしら?」
にっこり優しく語りかける占い師はさながら悪魔のような人だった。
ーーーーー
何が物足りないのか。
それを考える程、趣味も特技もない私。
思えば周囲からも特に何かに誘われることもなく、いつの間にか30を過ぎていた。
仕事は不満があるわけでもなく、かといって楽という訳でもなかったが辞める程ではなかった。
「貴方は何が楽しいのかしらね?」
頬杖を突けば艶っぽく溜息を吐く占い師。
きっと世に男性として生まれた者なら鼓動も高鳴るようなシチュエーションだろう。
座っている為身長はよく解らないが長い睫毛と深い闇色を秘めた瞳、金髪で柔らかくウェーブのかかったセミロングの髪。
魅惑の言葉を紡ぐのはほのかにピンク色を放つ唇で占い師にしているのは勿体ない容姿だった。
二房の髪が何かグラデーションになっているのもチャームポイントといえるのだろうか。
「…人を観察している場合なのかしら?」
そんな私を察したのかジト目で見上げてくる占い師。
どうやらかなり心を読むのが上手いらしい。
観念して自分の事を考えるとする。
しかし、あまりにも何もないのだ。
自分に関する感想が。
「でしょうね。自分に無頓着もいいところよ?ここに来るお客さんっていうのは大抵、野望があったり理想が高かったりってね。高望みの人ばかりだったのだけど。貴方はその逆。何もないの」
しっかりと目を見られれば思わず目を伏せる。
それはつまりなにもないと言われているのと同じだからだ。
「そういう、運命なのかしらね?」
容赦なく上司と同じ言葉を突きつける。
全くその通りだった。
動かない運命。
自分ではもう変えられないのかもしれない。
普通のサラリーマンで趣味はテレビ鑑賞。
なんとなく恋人くらいはほしかったけれど、そんなご縁もないわけだしこのまま独身なのかもしれない。
諦めがついているのか特に悲しくもならない自分にまた思い知らされる。
生きることへの頓着がここまでないなんて。
「変わりたいとは思わない?」
変える必要性が解らない。
「それはまだ何も知らないからだと思うのだけど」
そんな冒険をしたところで根本的に変われるとは思わない。
「冒険しなければ成長もないというのに?」
身長も伸びたしちゃんとサラリーマンにだってなれた。
著しい成長ではないけれど成長してない訳じゃない。
「…屁理屈ばかりね。つまらない男」
「!」
クイッと顎を押し上げられ真っ直ぐに瞳を見抜かれる。
「あまり甘い事言ってるから何も変わらないのよ。悩む事さえ放棄したままだなんてそれこそ無価値だわ。いい加減なさい?貴方が今の状況にこだわりがない事はよく解ったわ。お蔭で貴方を引き入れる事に躊躇なんていらないことがわかったわ」
引き入れる?
なんの事だろうか。
私はこのままいつものように帰宅してテレビを見るつもりなのだけれど。
「残念だけど元の生活に貴方を帰す気は全くないわ。感情を伴わない、観測者として貴方に同行してもらう」
ニヤリと怪しい笑みを浮かべれば 「喜びなさい。アタシに目を付けられるなんて滅多にないのよ?」
どうやらかなりの自信家なようだった。
ーーーーー
溢れでる自信に強気の眼差し。
ニヤリと笑えばその場に立ち上がり僕の手を取る。
「そうと決まれば身支度よ。こんなへんぴな所、私には不似合いだし」
路地裏に失礼な物言いをため息混じりに呟けば水晶玉を地面に叩きつけた。
耳を貫くようなガラスの割れる音。
ビクリと身体を震わすのもつかの間、そのガラスの破片が紫の光を帯びる。
「な、なにこれ…」
思わず身体を引こうとするも魔術師に捕まれたまま動けない。
「あなたは今日から”刻の観測者”よ」
意外と力強い彼女は、それを裏付けるようにこう口にした。
遥か昔、生命という概念も生まれるまだ昔。
世界は黒いなにかでしかなかった。
宇宙なんて概念が生まれたのもつい最近。
それはもっともっと、計り知れない程大昔。
世界に満ちた黒いなにかはある時意思を持つようになった。
黒いなにか、黒いなか、ああこれは”黒”と言おう。
認知できるそれは黒という色を認識した。
ふと身動ぎをすれば風が起こり、擦れるそれから雷がおきた。
雷はなにかに当たり、そこに炎を産み出した。
あまりの炎お暑さに黒いなにかは涙を流し水が生まれた。
分厚い本の1ページ。
紫色の皮表紙に金の箔押しで美しい模様が描かれた本だ。
明らかに日本産ではない見た目と裏腹に内容は読みやすい日本語。
いや、意味は正直わからない。
読めなくはないが正しいのかもしれない。
ふむ、とその謎の違和感に首をかしげつつ改めて辺りを見回す。
古めかしい怪しげな背表紙がずらりと並ぶ本棚。
鈍く光を反射しているのは金の天秤と置時計。
オイルランプがゆらりと揺れればぬるりと光も呼応する。
腰かけている椅子は黒塗りのゴシック調の彫刻が施され赤い布が張られている。
これがいわゆるアンティークとでも言うのだろう。
そのセットなのか同じ質感のテーブルも見事な彫刻だ。
ふと、壁に目を向ければ赤いカーテンに木の窓。
そこから見えるのは無機質に天にそびえる無数のビル。
飛行機のためにゆっくり点灯する赤い光が、僕自身が先程と変わらない現実にいるのだと証明してくれる。
あの後、紫の光に包まれ、気がつけばこの不思議な部屋にいた。
魔術師はそれを確認すれば疲れたからシャワーを浴びるといい出ていってしまった。
仕方なく椅子に腰かければテーブルもに置いてあったこの重厚な本のページをめくっていたというわけだ。
いま思えば初めて他人の家に入った気がする
。 そして初めての女性の部屋。
明らかに現代女性ではないしテレビでみるようなイマドキといったものではないがとても統一感のとれた個性ある部屋だと思う。
この時点で占い師、というのはほぼ確定といっても過言ではない程、僕は彼女の言う事を信じてた。
ーーーーー
光を見つけても決して導かれてはならない。
光は人々の希望であり、人々の願望であり、未来に確立するとは限らないからだ。
光は清く正しく善なるものであることに代わりはないが、継続することはできず必ず崩壊が決定している。
闇を見つけても決して踏み入れてはならない。
闇は人々の欲望であり、人々の本能であり、誰しもが陥る可能性を秘めているからだ。
闇は苦しく悪しきものであることに代わりはないが、継続すれば己が命をも落とす事になる。
光と闇の対を描いたこの文に、僕は興味を惹かれた。
一見誰しもがそう唱えるであろう光と闇の例えは、しかし大抵お金持ちの大富豪だったり政治家やどこかの社長など上に立つ人しか口にはしない。
もちろん光を目指す、言わば希望を目標にしている謳い文句だ。 だが、この文面は違う。
光にも闇にも属さない。
そう呼び掛けているようだった。
「察しがいいじゃないか、君にしては良く気づけたものだね」
濡れた髪にタオルを乗っけてドアにもたれ掛かる彼女はバスタオル1枚しか身に纏っていなかった。
恥ずかしさのあまりの赤面しテーブルに向き直る僕を見れば可笑しそうに笑い歩み寄ってくる。
「その文言は”刻の観測者”である為の決まり文句さ。要は目の前に起こり得る事実をそのまま理解し、そのまま記せ、情に流されるな。そういう類いの”試験”だよ」
笑いながらわざと僕の視界に入ればちらりと上目遣いを寄せてくる。
暗い裏路地では解らなかったが歳は18歳程度、透き通る白磁の肌に何でも見透かされそうな空色の瞳は僕の反応を楽しむように此方を捉えていた。
「これに反論でもされれば失格。いくらアタシが気に入ってもそれは覆らない。欲があれば観測者にはなれないのだから」
観測者
紫の光に包まれる時にもその言葉を聞いた。
それは一般的に変化があるものを記録していく者の事だ。
「そうさ、観測者。それは決して情に流されずそして干渉もしない。ただ移ろう変化を記憶し書き留めていくのさ」
彼女の言葉を真剣に考えれば反応が貰えず面白くないのか、それとも飽きたのか彼女は残念そうにドアへ向かう。
「そして嬉しい事に君はその”試験”に合格した。さすがはアタシの見込んだ観測者だね」
肩を落としつつもその声音は自信に満ち溢れそして嬉しげに弾んでいる。
「ようこそ、新たな”刻の観測者”。今日から君は狭間の民だ」
背を向けたままバサリッとバスタオルがストンと落ちる。
露になる艶やかな背に完全に釘付けな僕を余所に、彼女は鼻歌混じりに廊下へと姿を消した。
[* 闇の支配者]
「アタシの名前はローレンツ。ローレンツ・フェルシュング・ファクティス(Lorentz Fälschung Factice)。”刻の観測者”を見極める役目を担ってるんだ」
すっかりご満悦に笑みを浮かべれば僕の傍らに腰を落とす。
品のある刺繍があしらわれた紫のネグリジェを身に纏うその華奢な体躯が透けた布地を通して伺える。
まだ少し火照る頬は上機嫌も相まって赤く華やいでいる。
「さて、君の名を伺いたい所だけれど、既にそれは上書きされてしまっているかな?」
上書き…?
何を言っているんだろう。
僕の名前はfpt20tr2s…
え…?
頭に浮かぶ聞きなれない単語。
そもそも僕は日本人だ。
アルファベットや数字なんて絡むはずない。
ないのだが、浮かんでくるのは
アイン・ベオーバハタ・デア・アインザムカイト(Ein Beobachter der Einsamkeit)
「へぇ、孤独の観測者、てところね。いいじゃない。今日から君はアインよ!」
満足げにうんうんと頷けば先程との本を手に取る。
「仕組みは簡単。さっきの”試験”には仕掛けがあってね。合格するラインの意思を持った時点で適正と見なされ”運命的な役割”を与えられるんだ。正直その辺の細かい事はアタシにもわかんないんだけどね」
苦笑しながら本を差し出される。
そんな不思議な仕組みがされた本だったとは…
見た目相応だな、とも少しは思ってしまった。
「さて、せっかくアタシと同じ狭間の民になったんだ。その堅苦しい服、なんとかしたいねぇ…」
顎に手を当てればうーんと唸り僕の全身に視線を巡らせる。
改めて視線を落とせば新人社員として働き始めるとき、就職祝いにと両親が購入してくれた少し高めのアイボリーの背広。
長年使っているにも関わらず値段なだけあってすすけたりすることはなかった。
少し緩めたネクタイは近所のスーパーで安売りだったモスグリーンに細い白の線の入ったもの。
そういえばクールビズが推奨されていくからか売れ行き乏しく半額の値札を貼られていたのを思い出した。
こう考えるとなにもかもが思い出深い物へと変化していた。 きっとこれからも長く使える。
会社にも行かなければいけないし。
「会社?そんなものもうアインには必要ないでしょう?」
訝しげな顔で此方を伺えばムスッと不機嫌な顔をする。
「名前を上書きされたのだもの。それは”存在を書き換えられた”ともいえるわ。もう元の貴方ではないお。自分の名も思い出せないでしょう?」
やれやれと首を降れば踵を返すローレンツ。
「興が逸れたわ。もう寝る。アインは好きにするといい。思い出の場所を巡るもよし、元いた会社を眺めてくるもよし、よ」
そう言い残せばひらりと手を振り姿を消した。
ーーーーー
狭間の民。 それは時間の流れに関わる事のできない存在。
生命の輪廻を逸脱し、常人には認知されにくいそういう存在。
世間は幽霊とか、神とか、妖精とか。
なにやらそうやってアタシたちを呼ぶ…。
ーーーーー
青の歩行者信号が点滅し赤に変わる。
間に合うかとも思ったが断念し信号が青になるのを待つ。
現在深夜2:00。
普段であれば車通りも少ないが今日は週末の土曜日。
金曜日の仕事を終えそのまま居酒屋に立ち寄り何件もはしごしたであろう会社員達が日頃の鬱憤を晴らすため朝まで飲み明かす。
中にはヘロヘロになりながらも歩いて帰路につく人も見かける。
どこかホッと気を緩めるそんな時間帯。
思えばローレンツと出会ってからまだ1日も経っていなかった。
金曜の仕事を終え、今から飲みに行かないか?という言葉を断り、喧騒を避け裏路地へと逃げ込んだ。
信号が青に変わる。
一歩踏み出すと広がる違和感。
眩暈を覚えフラりとよろめく。
僕はどこへ向かうんだ?
この横断歩道を越えてどこへ行く?
そもそも僕はなぜこんなところにいる?
僕とは何なんだ?
「平気かい?」
トンッと背後から支えられ声をかけられ我に返る。
重い頭を声の方へと向ければそこにはにこやかに微笑む眼鏡を掛けた男性が僕を支えていた。
「あまり体調が優れないみたいだね?とりあえずこの横断歩道からは離れよう」
そう言えば近くの植木へと僕を支え連れていってくれた。
腰を下ろせば一気に襲う脱力感。
ぐわんぐわんと視界が回り項垂れる。
「水、飲むか?」
差し出された水の入ったペットボトルを受けとれば一気に飲む。
冷たい水が喉を伝わり身に染みる。
そういえば物を口にしたのはいつぶりだろう?
ぷはっ、と息を吐けば頭痛は少し残るものの先程の眩暈は消えていた。
「…ありがとう、ございます」
やっとの事で礼を告げれば顔を上げる。
「気分は少し良くなったかな?あんなところで立ち止まると危険だ」
目が合えば目線を会わせるようにゆっくり僕の傍らに腰掛ける男性。
歳は20代前半だろうか?
穏やかな表情で辺りを見回す。
「しかし、こんな時間でもまだ飲み明かす輩は多いものだね。余程ストレスを抱えているらしい」
苦笑すれば賑やかに過ぎ去るサラリーマンやOLの団体を暖かく見守る。
嗚呼、そうだ。
僕は最後に家でも眺めに行こうとしたんだっけ…
しかしそれに反するようにお腹が鳴る。
「あははははっ、まさか飲むだけ飲んでなにも食べていないのかい?」
それを聞けば可笑しそうに笑う男性。
別に居酒屋にいたわけではないのだが物を食べてないのは事実だ。
説明も面倒で俯きつつも頷く。
「ならどうだい?ラーメンでも一杯。さっきよりは幾分調子も良さそうだし」
スクッと立ち上がればにこやかに笑う。
「実は俺もどこかに寄りたいなと思っていたんだ。勿論君が良ければだけどね」
白い湯気がふわりと揺らめく。
時刻は既に深夜3:00。
次第に人通りも減りタクシーが道を行き交うのみとなっていた。
赤い提灯をぶら下げ暖簾をくぐれば空腹からか香る匂いに心踊る。
「はい、おまちどおさま」
目の前に豪快に置かれた豚骨ラーメン。
華やぐ緑の小ネギに程よい煮卵、厚く切られたチャーシューからは肉の旨味が流れ出る。
パキンと小気味良く割り箸を割れば麺を取りふぅふぅと息を吹き掛ければいざ己の口へ。
ずるるるるるるっ。
一気にすすれば鼻腔に広がる豚骨の香り。
心が満たされ次を欲する。
「良い食いっぷりだねぇ、見てて気持ちいいくらいなんだが」
すっかりラーメンに取り付かれ彼の存在を忘れていた。
「…すいません、全然食べてなかったもので」
跳ねた汁を拭いながら改めて彼に向き直る。
「いいや構わんさ。まさか飲んでもいないのにフラついているとは思わなかったんだが…もしかして行き倒れの真っ只中だったのか?」
「あながち間違いではないかもしれませんね…」
「それはまた大変な事態だな。まずはそれで腹を満たすんだな」
そう言えば箸を手に取りふぅふぅと冷まし出す彼。
確かにそうだなと僕もラーメンへと向かった。
「いやぁ、美味しかった!」
「そうですね、とても美味しいでした」
暖簾を背にふぅ、と息をつけば辺りはだいぶ白んできていた。
「ここが旨いって前聞いたんだけど、俺もはじめてきたんだ。口に合ったようで良かったよ」
ぐーっと身体を伸ばせば緩め僕を見やる。
「さて、腹も満たされたことだ。君の目的を果たそうじゃないか」
僕の目的?
「…君のその力、それは代償が大きい物なんだ。だからいままでの君ではきっと居られなくなる」
え…?
僕の力…?
何を言っているんだろう?
まさか、ローレンツの言っていた”刻の観測者”の事なのか…?
「その反応だと殆ど説明は受けていないみたいだね」
はぁ、と溜め息をつく彼。
真剣な眼差しを向ければ仕方ない、とぼやく。
「本来俺の役割じゃないが、今回の場合、君には責任がない。…観測者、名は?」
なぜその事を知っているのだろう?
今まで僕の触れたことのない世界。
恐らく非日常とも言えるこれはどう形容して良いのかわからない。
それに僕はもう日本名は覚えていない…
「…Ein Beobachter der Einsamkeit」
悲しい事だかこれが決定的に”己の人生を書き換えられた”と自覚できる証だった。
多分僕の名前はそこまで有名でも珍しくもなくいたって普通な名前だっただろう。
だけど微塵も思い出せない。
そしてそこを起点に僕の核となる”なにか”すらも変質して…
「ストップ。そこまでだ。それ以上踏み込めばまた”呑まれる”ぞ。さっきの眩暈もそれによるものだろう、アイン」
呑まれる…
「刻の観測者。それは様々な事象を客観的にとらえなければならない。つまり私情を挟むのはタブーなんだ。そしてその刻の観測者と見込まれた君は、きつい言い方かもしれないが自己主張に欠ける存在だった。それを見通した奴は君を抜擢した、って訳だろう」
奴、というには恐らくローレンツだろう。
仲が悪いのか苦虫を潰したような表情で続ける彼。
「…だが見誤ってはいけない。人はその生きてきた年数だけ経験や記憶があるものだ。それを否定し書き換え改竄する術式、それが本にでも仕込んであったんだろう」
そう言えば試験と命したその本にはよくファンタジーであるような魔方陣が随所に散りばめられていた。
「君の頭痛や眩暈はそれが原因となっている。それはそうさ、今までの”君自身を否定して”新たな存在として暗示を掛けているんだから。まったく酷い事をしやがるぜ」
やれやれと首を振れば上着から小さな手帳を差し出してきた。
「…これは?」
暗い藍色の皮の手帳は銀のレリーフがあしらわれた美しいデザインだ。
「これは君の掛けられている暗示を逆演算して解除してくれる魔術が掛けられている。そして刻の観測者には欠かせない暦だ。観測者は常に出来事を記さなければならない。これは開けば”今この時”のページを広げ、望めば今までの記録を簡単に呼び出せる優れものだ」
ゆっくりと受け取れば見た目よりも軽い事に驚く。
パラパラと捲れば終わりはなく永遠とページを捲ることができた。
「それはアカシックレコードの延長線とも言える重要な刻の鍵にもなっている。くれぐれも他人には渡すなよ?勿論奴…ローレンツにも、だ」
言われるがままに頷けば、手帳をしまう。
「…なにかまたあればそれにヘルプと唱えろ。そうすればきっとなにか役にでも立つだろうから。んじゃ、俺はそろそろ行くよ」
意外となんでもありそうな手帳をぎゅっと服越しに握れば背を向けたまま手を振る彼に小さく会釈した。
「お帰りなさい、思い出には浸れたかしら?」
昨夜のネグリジェとは違い出会った時の占い師の格好をしたローレンツ。
「まぁまぁ、かな」
あの後、手帳のお陰か頭痛も眩暈も収まり勤めていた会社や自宅へ足を運んだ。
名前を忘れてしまった今、家に入る気にもなれずその場を後にしてきたが自然と未練はなかった。
「…そう」
ニタリと笑みを浮かべていたローレンツだが僕の反応を見て訝しげな視線を向けてくる。
「…なにかあったみたいね?」
どかりと椅子に腰を下ろせばそう問い掛けてくる。
なにかといわれれば眩暈と頭痛で死んでしまいそうではあったが。
「異能力者に合ったわね」
そういえば、一緒にラーメンを食べた彼。
別に魔法じみたことは見ていないがこちらの事をよく知っていた。
なんなら僕よりも詳しいみたい。
ああ、そうだ。
手帳には魔法が掛かっているんだったかな?
「……奪ったりはしないわ。少し見せて貰ってもいいかしら」
僕は言われるがままに上着から手帳を取り出す。
「!!!!!」
遠目でもわかるように見せれば息を飲むローレンツ。
先程の椅子からは微塵も動いていないがそこから見てもわかるほどなにか凄い物なのだろうか?
「それは、闇の支配者…通称「死神」の”ルチーフェロ・バイブル( Llucifero bible)”。過去の全世界のアカシックレコードが秘められた伝説級の逸品よ。ルチーフェロとは堕天使の事なんだけど、神に反逆した堕天使が世界の記録を盗みだし本に隠したとされるわ。ただ、この目で拝むのも初めてよ…」
はぁ、と溜め息をつけば憂鬱そうな顔をした。
「おまけに貴方がその本を手にしている限り近くにいる者は身動きが取れないみたいね。完全に勝者だわ。降参よ」
通りでローレンツが大人しい訳だ。
そう付き合いが長いわけではないが如何せんちょっかい好きな彼女の事だ。
いつもならきっと既に飛び付いて来たに違いない。
動けない彼女をいじめるのもあれなので僕は手帳をしまった。
「……………要するに、アインは闇の支配者に合ったという訳ね」
彼がその闇の支配者なのかどうかは定かではないが共にラーメンをすすった仲だ。
「ラーメン…あんな庶民の食べ物を…?」
それはラーメンに失礼だ。
日本各地様々な味が親しまれご当地名物とまで言われるよもや国民的食べ物。
ましてや一人暮らしを始めた頃はどれだけカップラーメンとう救世主んk胃袋を救われた事か、到底片手の指では数えきれない。
「おーけー。ラーメンを侮辱した事は謝るわ。でも、まさか噂通りあの地に居るとは思わなかったわね。万の神々を祀り上げる国柄は伊達じゃないわ。」
神妙な面持ちで視線を落とせば言葉を続けるローレンツ。
「聞きなさい。貴方が出会ったのは紛れもない本物よ。アタシなんかじゃ到底手を付けられない事柄も難なくクリアにしてしまうマジな奴。それを絶対失くしてはいけないわ。そして見せびらかしてはいけない。見られたら最後、きっとアインを追う魔術師はごまんといるでしょうね。」
ゆっくり瞳を閉じれば再び真っ直ぐとこちらを見た。
「行きなさい、まだ見ぬ新たな土地に。その目で無限に広がり幾重にも交差した世界を記録して行くのよ」
すくっと立ち上がれば麻布の袋を投げ渡される。
中々の重さに戸惑いながら受けとる。
「最初は慣れないでしょう。それにいろいろと旅支度をしといてやったわ。ついでに比較的平和そうな世界にも投げてあげる。感謝なさい」
疑問の声を投げかける前に辺りは白い光に包まれた。
[* 朝露の民]
緑豊かな木々の生い茂る美しい森。
そこには朝露の雫で目を覚まし、星の瞬きと共に眠りにつく小さな国「プリムローズ」があるという。
ある時は花と言葉を交わし人々のオーラを理解し整え、またある時は木々の声を聞き未来の予言を語り継ぐ。
森を愛し花を愛でるフォリア族が暮らしているという。
「オルテンシア、起きなさい!朝だわ!急いで!」
バンバンと枕元を叩く音。
耳元で起こそうと必死に声を掛けてくる。
それだけではない、騒がしく足音までバタバタされては重い瞼も開くしかない。
「解った、ホーザ。解ったからそんなに騒がしくしないで。頭でぐわんぐわん鐘が鳴ってるみたいだから」
「4つの目覚ましを鳴らし続けたんだもの。それは寧ろ当たり前だわ」
「…」
嘘だろ?という自身の疑問を目線で投げ掛ければ腕を組み、呆れた様子で首を振る妹のホーザ。
「とにかく、もうすぐ朝露の時間よ。寝ぼけるのも程々にしておきなさい」
朝露の時間。
プリムローズでは朝9時になると「神木の聖堂」で一日の幸福を願う。
その神木は古くからこの森にある大樹で朝露を受け取れば幸せの恩恵を受けられると言われている。
私としてはそれの為に早起きさせられるのは正直納得しがたい。
風習みたいなものだから拒否権がないのが嘆かわしい。
一つ嘆息すれば仕方なくいそいそとパジャマから着替える。
「え、またその服?ちょっとはおしゃれしないとだわ」
まだかまだかとう玄関から様子を伺うホーザ。
服のセンスは人それぞれだし文句は受け付けない
。 お気に入りの紫のスカーフを巻けば玄関へと向かう。
「急いで、あまり時間もないし神風に乗りましょう」
神木には不思議な力がある。
幸福を受けられるのもあるがこの神風も神木の力だ。
不思議な事にプリムローズのどこからでも何故か神木に向かう風が吹いている。
「今日は初めて使う布よ!丹精込めて織り込んだのだから!」
意気揚々と広げた布には黄緑の下地にアゲハ蝶の模様が織り込まれていた。
ホーザは織物を得意としている。
そして神木への風にはこの蝶の模様が入った織物でしか乗ることができない。
それが絨毯だろうがスカーフだろうがハンカチだろうが関係ないみたいだが、重要なのは”プリムローズの民が手掛けた蝶の織物”だという。
“いってらっしゃい””気をつけてね” 庭の花や木が見送る中、織物は風に吹かれ舞い上がる。
「まったく、毎日の日課だというのにどうしてこう寝坊ばかりできるのかしら」
ぷんすか隣で頬を膨らますホーザを見ないように流れる景色に目を向ける。
季節は春。
今から咲く花の蕾が朝日に向かい頭を垂れている。
新緑の芽も少しずつ準備を始めているのか枝が青い。
自然とフレッシュな気持ちになれば程なくして神木の大樹へと舞い降りた。
ギリギリ間に合ったのかまだ辺りは賑やかだ。
「おはようオルテンシア。今日は寝坊しなかったのか?」
驚いたように声を掛けてくるのはパルドブロム。
いつも昼過ぎに家に来ては大抵寝坊で遅れる私に説教垂れる古くからの友人だ。
「それは私のお陰と思いなさい!たまには起こしてあげる愛と優しさ尊べば良いのよ!」
自信満々に胸を張るホーザを余所に私は朝露の時間の行われる白の遺跡へと踏み込んだ。
白の遺跡。
神木の大樹を祀るため、フォリア族の祖先が遠い昔作ったと言われる神殿だ。
大理石で作られた床は朝日を受ければ反射し遺跡の中を神秘的に照らしている。
上から見れば八角形の形をした建物は神殿の大樹の前に広がる湖の上にまるで浮いているかのように建てられている。
天井を支える大きな八本の柱には金の装飾が施されまわりには緑の草や鮮やかな花が植えられた鉢植えが置かれている。
「無視するなんて酷いじゃない」
「ホーザのその自信は何処から涌き出てくるんだ」
ドタバタと追いかけてくるホーザに呆れながら後につくパルドブロム。
神殿の一番奥、そして神木の大樹に一番近い場所には少し段差があり新芽と木のみを象った像が鎮座している。
祭壇と言われるそれにいつも御子様が朝露の雫を神木の大樹から授かり民に配る。
雫を浮けとるのはフォリア族が全員身につける”フォリアの首飾り”だ。
これは葉っぱの形をした小瓶になっている。
大抵夜には蒸発して無くなりそうになってしまうが何故か朝にはまだ微量だが残っている。
祭壇と神木の大樹を繋ぐのは大きな蓮の葉が連なる自然の橋。
白の美しい髪を揺らし、エメラルドに光る不思議な瓶を両手で抱えその橋を渡るのは御子であるプリムラ様だ。
「そろそろ時間ですわね。いつもあの神々しさには尊さを感じます」
何に感動しているのかうっとりと頬を赤らめるホーザを余所にパルドブロムはフォリアの首飾りを服の中から取り出す。
「俺達にはこんな小瓶でも全員に配るにはあれだけ大きな瓶じゃないと入りきらないんだよな」
プリムラ様は身長的には150cmを少し上回る程度で、とても大きくはない。
エメラルドの瓶はプリムラ様の身体をほとんど隠してしまっている。
朝露の量も相当であろう事は容易に想像できる。
祭壇上に到達すれば既に集まったフォリアの民に一例しプリムラ様は手を広げる。
「皆様、良い目覚めを迎えた朝に、今日も幸福を願い神から賜る朝露を、どうか受け取ってくださいませ」
にこりと微笑めば祭壇に並ぶ民の首飾り一つ一つに朝露を取り分ける。
私たちも習い列に加わり朝露を受け取る。
自然と身体に力が漲るのを感じれば一日がやっと始まった、と各々は己の務めへと足を向かわすのだった。