ブルームーン

2023/08/31 著

涼しい風が頬を撫でる。
蒸せ返るような熱気をはらんだ夏も、雨に降られた夜には少し涼しく感じる物だ。
「やぁやぁ、主、ご無沙汰しているではありませんか」
ニタリと嫌な笑みを浮かべ背後に佇む細身の男性。
夜21時に差し掛かり、月も雲に隠された暗い夜。
ベランダで夜風を楽しんでいた闇色はそんな彼にげんなりとした表情で振り返る。
「…別に呼んでもいないしなんなら不法侵入だぞ、シン」
ゆったりとした動作でベランダに身体を預ければ深いため息を吐く。

ここは日本の閑静な住宅街にある一軒家。

庭には色とりどりの花々と仄かに香るハーブが植えられており手入れが行き届いている。

そこまで広くはないものの、ガーデンテーブルとベンチがあり季節を楽しめる木々も植えられていた。

今日は月の近づくブルームーン。

銀の食器に入れたアッサムティーと共に闇色は残念ながら雲に隠されてしまった月を思いながら楽しんでいる所だった。

「おやおや、お忘れですか?貴方様の忠実な僕である私は闇のある所であればどこへでも姿を表しますよ」
ニヘッと笑えばベランダの闇色に歩み寄る。
「全く。今までどこに隠れていたというのですか」
「…別に隠れてはいない。そうじゃなくても君の事はあまり得意ではないからな」
「ははは…嫌われたものですねぇ」
わざとらしく項垂れる細身の男、シンをやれやれと観念したように見やればベランダに置いてある小さな椅子に促す。
キッチンへと向かいカップとケトルを手にすればその向かいに戻る闇色。
「…すっかり人間に溶け込んでいるじゃぁありませんか」
「お陰様でな…」
ポットにお湯を注ぎかき混ぜるように少し揺らす。
暖かい湯気が揺らめけばカップに注いでいく。
「あれだけ他人を遠ざけた存在が、今更溶け込めるとでも?」
目を細めてこちらを見るシンの瞳はその真意を見抜くように真っ直ぐに向けられている。
「…溶け込めるなどとは思っていないさ。ただ、自由に生きるという事を見直しているいるだけだろう」
ほんのりと香りを漂わせるカップをシンへと差し出せばぼんやりと月の在るかもしれない空を見上げる。
「私は一人でいる事は出来なかった。幾らそう在ろうとしても寂しさには敵わなかった」
「それは知っていますよ。貴方の周りには誰かしら必ずいる」
差し出されたカップを手に取ればくるくると水面を回すように揺らす。
「だからこそ私にすがってくれても良かったのですよ、主」
ふぅ、と息を吹きかければ揺れる湯気の軌跡。
「私は主以外に興味はありません。貴方に望まれるなら世界だって壊して差し上げますよ」
ニシシッと笑えばシンの周囲の暗闇が蠢く。
まるで戦いに飢えた獣のようなそれらを従えているシン。

闇使い…
それは闇を崇拝し愛し尊ぶ異人。
音の振動で作用する闇言葉を駆使し闇を操る魔法使い。
闇そのものである闇色を真っ直ぐに信仰した唯一の存在、それが闇使い寝母希 針(ネボキ シン)その人だ。
光が無くても存在し続ける事のできる闇が絶対的な存在とはなるものの、闇そのものがそれを許さない、認めないこの世界線では力を発揮することが出来ない。
闇が絶対であると人々に知らしめる事がシンの目的だった。

だが、現実は全く異なる。
何故なら闇本体がそれを望まなかったからだ。
それどころか闇は夜の支配下の元、存在を許されると言い始めたのだ。
「私なら何でも実現出来ましょうに、主は全く欲がない」
光があれば闇もある。
光がなくとも闇は存在する事が出来る。
そんな絶対的な存在のはずなのに。
「主は嫌われるのが本当にお嫌いなようだ」
小さく呟けばカップの中身を一気に飲み干す。
「…言っただろう、私は誰かの喜ぶ顔が見たいのであって私自身が幸せになる事にはあまり興味がないと」
「…」
欲がないどころか他人の幸せを願っている。
どうしてこうも生きる事においてウェイトを自身に向ける事ができないのか。
「今に始まった事ではないですがね…全く…ここまで来てようやく解りましたよ、私は」
ゆっくりとカップをソーサーに置けばぬるりと立ち上がり雲に手を掲げる。
「貴方が感じる幸せは、こういうものなのでしょう?」
虚空を掴めば横へと引くように空を”開く”。
すると月に覆いかぶさった雲が手の動きに合わせて開いて行った。

涼しくなった風を纏うように仄かな光を灯す月。
開けた雲の隙間からは幻想的な月の光の筋が降り注いでいた。
「…いい仕事をするじゃないか」
「闇を生み出す雲の操作くらい、造作もありませんよ」
「立派になったもんだ」
意図的に作られた”幻想的”に嬉しそうに微笑めば闇色は満足げに瞳を閉じる。
「私は力を欲している訳ではないよ。ただ”美しい”と思うものを実現する努力をするだけさ。勿論、見た目だけの話ではないよ」
怪訝そうに主を見るも諦めたように肩を落とすシン。
「どうやら今回もお誘いは失敗か。折角新しい世界を闇で知らしめようとしたのにな」
やる気をなくしたようにドカッと椅子に戻れば雑な扱いでカップにおかわりを注ぐ。
大量の砂糖をぶち込めばやけくそのようにぐるぐるとティースプーンでかき混ぜカツン、と放り投げる。
「というか、見た目が一番重視でしょう、主」
ジトッと睨めば返事を待たずふんっとそっぽを向くシン。
「よく解っているじゃないか、私の事を」
その様子が可愛らしく思えたのか笑いに肩を震わす闇色。

投げられたティースプーンを手に取ればまだ惰性で回るカップの中身を逆回転でかき混ぜ始める。
「私はそういう者なのだ。幾ら我慢してもこの性質は変える事が出来ないらしい」
自分でも諦めているのか少し寂しそうに微笑めばゆっくりと手を離す。

開かれた雲はいつの間にか完全に晴れ、美しい月が二人を照らす。
「…今までも私を必要とはしませんでしたからね、主は。それくらい気付いていますとも。これからも私を頼る事がないという事もね」
二人で混ぜられたカップを手にとりゆっくりと喉に通す。
大好きな砂糖多めの紅茶は、どこかほんのり寂しさを帯びていた。
「たまにこうして遊びに来れば良い。私はいつでも歓迎するよ」
そんな様子を眺めながら自分もカップを手に取る。

もう何年と会う事のなかった闇とその信者の物語。
それは素朴な願いをひっそりと紡ぎながら人の世に紛れて今日もどこかで暖かい光を作るのだった。

引用元:https://voddolesu.fanbox.cc/posts/6609567